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2011年04月16日

ジャッキー・ロビンソンデー

今日は、少年野球がお休みだったのでTVicon60
MLB中継を見ています。
さすが、メジャーリーグと思いながら
ふと、選手みんなが42番をつけています。

もちろんイチロー選手もです。
ジャッキー・ロビンソンデー

日付変更線の向こうアメリカは4月15日です。
そう、今日4月15日はジャッキー・ロビンソンデーです。
ジャッキー・ロビンソンデー

1947年4月15日、メジャーリーグ史上初の「黒人選手」がデビューしました。
彼の名は「ジャッキー・ロビンソン」
今となっては当たり前のように黒人選手が活躍していますが、

当時、ニューヨークのブルックリンに本拠を構えていた
ドジャース会長の目的はメジャーリーグに実力の高い黒人選手を
登用することでした。
その会長とロビンソンが初めて会ったのは1945年のことで、
「どれだけひどい仕打ちを受けようとも報復しないだけの勇気を君は持っているか」と
会長は問いかけた。ロビンソン自身もかなり悩んだが、会長の真意を理解し、
これを受け入れた。このロビンソンの決断が後々のメジャーリーグ、そして他の
スポーツにおいても社会に大きな影響を及ぼしていく。
 
ブルックリン・ドジャースに入団したロビンソンだったが、黒人のロビンソンが
入団した事で、黒人の選手とはプレイ出来ないと、数人の白人選手は
チームを対談していった。
さらに相手チーム、ファンからも心無い野次が浴びせられ、対戦相手からは
対戦拒否と、人種差別は想像を絶していた。
 
故意のスパイクでユニフォームが裂け流血した事もあったが、ロビンソンは常に
紳士的な態度をとり、プレイで周囲を黙らせていった。
世論もそんなジャッキー・ロビンソンを徐々に認めていき、1年目のこのシーズンでは、
この年から制定された新人王に選ばれた。
現在新人王が「ジャッキー・ロビンソン賞」と言われる由縁は、初代新人王が
ロビンソンだったことからきてる。
 
もちろんロビンソン1人の力では、人種差別の壁は破れなかったと。
周囲の反対をよそに契約を推し進めたドジャースの当時オーナー、「ブランチ・リッキー」
オーナー会議で15対1で反対されながら、ジャッキーがプレイする事に
GOサインを出した、当時のコミッショナー、「ハッピー・チャンドラー」
対戦拒否の場合は出場停止処分に処すと強硬な態度を貫いた、
当時のナショナルリーグ会長「フォード・フリック」
彼らの内1人でもいなかったら、ジャッキーをはじめ、黒人選手が
メジャーリーグでプレイする事はなかったかもしれない。
 
1997年4月15日、ジャッキー・ロビンソンがデビューして50周年のこの日、
ドジャースvsメッツのゲームで5回終了後、当時のクリントン大統領が
記念式典に参加し、次の言葉を残した。
「すべてのアメリカ人は、ジャッキー・ロビンソンに感謝しよう。彼のおかげで、
アメリカはより強く豊かな国になれた。次の世代の明るい未来のために、
彼の遺産を大切にしていこう」と。
 
1962年には殿堂入りし、さらにジャッキー・ロビンソンのつけていた背番号「42」は
メジャー全チームで永久欠番になった。

「4月15日はジャッキー・ロビンソンの日」となりました。

本当にスケールが大きいと思いました。


Posted by キャプテンウソップ at 09:41│Comments(0)
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